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YMO「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」

2019.01.08 (Tue)

2019年1月2日に放送された、NHK名盤ドキュメントト「YMO“ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー”」の録画したいたものを、今夜見ました。

僕が小6の1979年に発売されたアルバム。当時の僕は、まったくそのことは知らず、はじめて聞いたのは中学1年になった1980年になってから。聞いた記憶が2回。どっちが先だったかは覚えていないけど、2回ともその時の光景を鮮明に覚えています。

記憶の中の光景から、秋だと思うけど、文化祭だったのか、それともオーストラリアからの交換留学生のレセプションだったか、とにかく僕は中学校の体育館の舞台上で、吹奏楽部員として座っていました。吹奏楽部員でいっぱいのステージ上手にエレクトーンが置いてありました。自分たちがなにを演奏したかはまったく覚えていないけど、僕たちの演奏の後、そのエレクトーンで中3のかなり背が高く、横幅もかなり大きな男子が演奏したのが、「RYDEEN (雷電/ライディーン)」でした。「ソリッド・ステート・サバイバー」の3曲目の名曲。

「なんちゅー格好エエ曲や!」

その男子生徒は、少なくとも吹奏楽部に所属している人ではなく、合唱部でもなさそうで、たぶん柔道部の先輩だったと思います。そんな彼が、左右の手と両足バラバラに、しかもなにやらスイッチ類をイジリながら、そして大汗かきながらエレクトーンを弾いている姿を、後ろから見ながら、ただただ曲も格好イイけど、演奏しているのも格好いい!と思ったのでした。それが一つ目の記憶。

もう一つは弁当時間の記憶。
昼休みの弁当時間。放送部が校内放送を流していたんだけど、ある日流れたのが「RYDEEN (雷電/ライディーン)」。「ソリッド・ステート・サバイバー」の他の曲も流れたのかもしれないけど、覚えているのは「RYDEEN (雷電/ライディーン)」のみ。その曲のイントロが流れ出すと、箸をドラムスティックにして、弁当箱を叩きながら、狂ったように首を振る級友!音楽をスピーカーの前で正座して聴くべしという「音学」として育てられた僕にとって、人をここまで動かす音や楽曲の力!なんて自由な聞き方!これまた衝撃の光景となりました。

参考までにいうと、このヘッドバンギング男は、数年後に、僕がギターを弾いていたハードロックバンドでボーカルをすることになる、石原大造でした。一緒のクラスになったのは、この中1の時だけ。高校も別だったけど、通学路で再会して高2の半年と、大学2年から3年の時に一緒のバンドで活動することになるのでした。

音楽といえば、クラシックの曲がほとんど、他は映画音楽と、たまに爆発的なヒットをしてクラスのみんなが歌って覚えたピンクレディーや、およげたい焼き君程度。今から思えば、本当に偏った音楽を聞いていた僕にとって、「RYDEEN (雷電/ライディーン)」は、はじめて格好イイ曲!と思えた楽曲でした。いい曲はあっても格好イイと思える曲はなかなか巡り会えないモンです。

この曲をきっかけに少しずつクラシック以外の音楽に触れられるようになるのですが、この「RYDEEN (雷電/ライディーン)」を越える衝撃は、その後、中3になるまで巡り会えずでした。なにしろ歌謡番組は見ることを許されず、ラジオも電源をONする権限ナシ(なぜかプロ野球のラジオ中継はたまにOK)。レコードはプレイヤー自体が家になかったし、ミュージックカセットもそれが買える小遣いの金額ではなかったので、ポピュラー音楽の情報が入る余地はほぼゼロ。しかも、音学はジッとして聞かねばならないという、なかなかのストイックな環境でした。ただ、ストイックなだけならまだしも、クラシック音楽以外をバカにしたような親の見解を、世の中そういうものだと思っていたので、自分でもポピュラー音楽を受け入れる必要性を感じてなかったのもありました。

そんな中学1年生の僕が、格好エエ曲!と出会ったのが「RYDEEN (雷電/ライディーン)」。そして、その後、少しずつ聞くことになる「ソリッド・ステート・サバイバー」の各曲。とはいえ、今夜まで4曲目の「CASTALIA (キャスタリア)」がこんなにイイ曲だと知りませんでした。そして「DAY TRIPPER(デイ・トリッパー)」のギターが鮎川誠だったというのも今日知りました。ツアーにはずっと渡辺香津美がサポートしていたので、この曲もてっきり。それにしても、ずいぶん泥臭いロックなフレーズ弾くなぁと思っていたんだけど、鮎川誠なら納得です。

番組ではDENONのカートリッジが映ってました。レコードプレイヤーが家になかったし、高校時代はラジカセ暮らし。大学時代にCDの時代になってしまい、レコードとは触れ合う機会がありませんでした。クラシック音楽原理主義だったわりに、音質にはまったく無頓着だった親は、「良いプレイヤーで聞いたら、違う曲になるんか?」と言われたのを覚えています。僕の中の、欠落体験の一つは、レコードをプレイヤーに乗せて、針を落とす作業なのかもしれません。あのDENONのカートリッジは、その象徴的アイテムと言えましょう。

良きオーディオセットへの憧れは、中高時代ズッとありました。とにかくモノラル再生機しかなくて、ステレオ再生自体が憧れでしたし。音が鮮明になることが、うるさくなるのと同義になる価値観のもとでは、高校時代にステレオラジカセを買ってもらうのが精一杯。そういや、ウォークマンが登場したのも中学時代。中2の時に発売になったウォークマンⅡのオレンジのヘッドフォンが格好良くて、憧れました。もうレコードプレイヤーやコンポなど夢の機械だったけど、ウォークマンくらいなら買ってもらえるかと親に聞いたら「そんな金はない」と言われたのも覚えています。ウォークマンすら買う金がないのに、ステレオコンポなど無理に決まっているし、ましてや部活で使う楽器(トロンボーン)などとうてい買ってもらえるわけもないと納得した記憶があります。

中3で出会った「RYDEEN (雷電/ライディーン)」を越える格好イイ曲。それはラジオで聞いたイーグルスの「ホテルカリフォルニア」のライブ盤のギターソロ。その数ヶ月後に聞いたJOURNEYの「Don't Stop Believing」。中2の後半から日曜朝の「不二家歌謡ベストテン」を聞かせてもらえるようになり、ようやく世間のヒット曲を耳にできるように。「ギンギラギンにさりげなく」「風立ちぬ」はこの時の曲。中3の途中で引っ越して、自分の部屋と自分のラジカセが与えられ、FMラジオが聞けるようになり、洋楽も聞けるようになったのでした。「ウルサイ」と言われ、ほとんどヘッドフォンで聴いていましたけど。

ここからギターを買うまでが、これまたさらにキビシイ道のりで…。


「RYDEEN (雷電/ライディーン)」の衝撃の話が、いつの間にやら、音楽環境に関するルサンチマンの吐露に。いろいろ思い出す番組でした。



そういえば、ラジオの電源ON権は、それほど厳格でなかったような記憶もあります。松田聖子の「夢で逢えたら」や伊藤つかさの「星に願いを」を聞いていた記憶があるし。…調べてみたら1981〜1983年頃の番組ですね。やっぱり中1の時はラジオも聞いてなかったようです。

そういえばのついでにもう一つ。「リムスキー=コルサコフ /トロンボーン協奏曲 変ロ長調」の入っていたカセットテープに、伊藤つかさの「星に願いを」を上から録音してしまったことがありました。親からは烈火の如く叱られました。吹奏楽部で自分が担当する楽器の協奏曲が入ったカセット音源。それをミーハーなタレントのラジオで消すとはケシカラン!だったのでしょう。

とはいえ、MY楽器でない学校備品の吹奏楽部員。チューバくらい個人では手が出ない楽器なら学校備品でも問題ないけど、個人で買えてしまう楽器のパートには備品楽器も少ない。中1の間は超年代物で緑青が浮かんだボロボロの備品楽器が割り当てられていました。吹いても吹いても鳴らない楽器とのお付き合いでした。中2以降は運良くほどほどな備品楽器が当たったけど、それは3年の先輩がMY楽器を買ってもらえたから回ってきた楽器。パートの後輩もMY楽器を買ってもらえる人達だったので、僕はそのほどほどを使い続けられたけど、いつボロに回るかわからないし、進学先の高校で備品楽器が当たるとも限らないなか、トロンボーンを続けられるかは運次第。トロンボーン協奏曲の上から伊藤つかさを録音してしまったのは、たんなる失敗だったのかもしれないけど、子どもながらにこの楽器とは長く付き合えないことを悟ったのかもしれません。今から思えば、金もかかるし練習場所にも困る管楽器と距離ができたことで、ヘンな進路を考えずにすんでヨカッタと思いますけどね。これは、あくまでも結果論。

 
00:54  |  音楽  |  Comment(0)

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