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改めてワーク・ライフ・バランスとはなんぞやと

2010.03.25 (Thu)

改めてワーク・ライフ・バランスとはなんぞや?についてこの春のオフに考えてます。

「マッチョな家事はいらない!」

と「アンチマッチョ宣言」した僕でしたが(今やそのコピーもWebサイトでは封印した形になってますが…)、昨今のワーク・ライフ・バランス推進の展開をいていると、どうも「マッチョなワーク・ライフ・バランス」に見えるモノもチラホラ。

「仕事を効率化させ、自己研鑽や自己投資や家族投資の時間にしよう!その成果は仕事にも活かせる!相乗効果だ!」

決して間違ってないどころか、その通りだけど、これは、
「ワークもライフもバリバリ過ごせ」
とも解釈でき、なかには「これ以上シンドクなるのかぁ?」という人もいると思う。

僕は家事という、かなり日常生活ベッタリな視点からワーク・ライフ・バランスというモノを見ているが、そうするといろんな声が聞こえてくる。

「仕事が楽しくて仕方ないのに、仕事を削らなアカンの?」
「仕事を早く終わらせても、家で家事やらされるだけ。モチベーション上がらない」
「仕事を早く終わらせたら、その分、仕事を増やされそう」
「僕の仕事はワークとライフを区分しづらい」
「お風呂で企画アイデアがひらめいた!この時間はワーク?それともライフ?」
「専業主婦・主夫にとって、家事はワーク?それともライフ?」
などなど。

ワーク・ライフ・バランスとは、単なる抽象的な概念でしかないのか?行為としてのワーク・ライフ・バランスは、先の「ワークもライフもバリバリ」的な「マッチョ志向」しかないのか?

そんな中で、少なくとも「主夫」としての視点から言えることがある。それは、「同じ効果なら、家事時間&手間短縮については、ワークにもライフにもメリット」という点だ。

ワークとライフを区分する以前の問題として、持続可能な生活の為に必要不可欠な家事(ミニマム家事)は、最小限の手間で済ませたい。そのための家事には省力化と共同化が必要。その「ミニマム家事」を規定するのは、一人暮らし状態で行う「自事(自分の身の回りのことを自分でする)」。その自事が、性別や未婚か既婚、子育て中かそうでないかなどによって、固定化されるのはとてもシンドイ。そのしんどさの解決のために、僕は家事アイデアを出したり、講演活動をしているということだ(長いな)

もちろん「家事が大好き」「家事はいつもMAXガンバル!」という人もいるが、それは常に「ミニマム家事」があればこそ成立する「お楽しみの家事(他の言い方を考え中)」。炊事・洗濯・掃除・ご近所付き合いにPTAなどの、「どの種目も大好き」という人はメッタにいない。「家事好き」と公言する人の多くは、自然に苦手な種目は最小限で済ませ、やりたいコトに集中している。家事達人には、むしろ「家事が苦手」というも大勢いる。「他にやりたいコトがあるのに、家事に時間を取られてしまう!」という人は、「なんとかならないか?」と家事に合理性や機能性を求める。「手抜き」開発であったり、効率化や省力化などの「カイゼン活動」であったり、整理・整頓などの「4S・5S運動」を自然に家庭でも行っている。

例えば、散らかった家でよく見聞きするのは、出掛ける前に「鍵がない!鍵がない!」と走り回ってバタバタする光景。せっかくセットした髪もバッチリ決まったメイクも、駅まで猛ダッシュして台無し。これは仕事に出掛けるにしてもデートに出掛けるにしても(つまりワーク目的の外出であってもライフ目的であっても)、そのQOL(Quality of Life)を下げる。

「仕事を早く終わらせても、早く家に帰ったら、その分家事やらされるのでは、モチベーション上がらない」も同様。「やらされる家事」をお互いになすりつけ合っているのでは、いつまで経ってもおもしろくない。そんなメンドウな家事はササッと終わらせて、自分のための時間を有効に使って欲しい。自分のための、それがワークであってもライフであっても、「あ~充実してる!」という時間への実感(シャレかいな…)があれば、きっとシアワセな気持ちになれるんじゃないだろうか。

僕は「仕事が楽しくて仕方ない。だから仕事を削りたくない」というのもアリだと思う。吸収できる時に吸収するのはとっても大切なコトだし、そもそも「楽しくて仕方ない」という仕事に巡り会ったシアワセは、なんぴとたりとも奪うことはできないと思う。ただ、自分がその選択をすることで、誰が窮屈だったり寂しい思いをしてないか?仕事がなくなった時に「自分には何にも残ってない」という事態にならないか?を頭の隅にチョコッと残しておくコトが大切だし、これ自体がワーク・ライフ・バランス(感覚)だと思う。

アーティストや職人さんは、やろうと思えば一生現役で仕事ができる。文筆家や研究者や社長も似たような属性だ。彼らのワーク・ライフ・バランスはどうしても「仕事大好き!」「すべては仕事に通じる!」「仕事だけが自分の存在意義」的になりがち。そうした人達が書いたモノを、定年制度のあるサラリーマンが実現しようと思ってもシンドイはず。

僕は『釣りバカ日誌』の浜ちゃんは、今でもそのへんの勤め先に(潜在的に)大勢いると思う。ワーク・ライフ・バランス感覚の浸透した社会であれば、誰に遠慮することもなく、「釣りバカ」を謳歌できたと思うのに、日本に生まれたばっかりに、日本企業に就職したばっかりに肩身の狭い思いをしないといけないのは、ちょっと気の毒。

鳩山首相が所信表明演説で引用した、大山康弘さんの『働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと~』で、人間の究極の幸せについて、「人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人から必要とされること」と導師の言葉として書かれていますが、「これらは働くコトでしか得られない」とはひと言も書かれてない。働くこと以外に、この要素を得られる人も大勢います。

男子学生から、
「先生、オレ、真剣に先生みたいな主夫になりたいんですけど、どうしたらエエですか?」
という質問を受ける度に、いろんな思いが交錯し、「これでエエのか?」「なんか間違ってないか?」と思う。



とりとめもなくワーク・ライフ・バランス(と、その基盤としての家事)について書きましたが、このオフ中に整理しようと思っています。共著出版の企画があって、5月に執筆内容の報告をしないといけないので、ボチボチと整理に向けてエンジンかけてます。僕以外の著者はみんな学術研究者で、僕は「補論」担当。編集が旧知の教授で気楽に書かせてもらえるそうです。普段の講演や原稿依頼では書けないようなコトを書こうと思っています。
14:00  |  男の家事  |  Comment(0)

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