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義父を見送りました

2018.07.04 (Wed)

6月29日(金)の午前1時15分頃、急に電話が鳴る。

どこかの酔っ払いが間違えて電話してきたのか?折りしもその日は、サッカー日本代表が決勝トーナメントを決めた夜。酔っ払って、間違えてウチにかけてくるヤツがいる可能性も捨てがたい。受話器は取るけど無言。あちらも無言。しばらくするとプツッと切れる。「やれやれ」と思いながらベッドに戻ると、数分後にまた鳴る。

今度もしばらく無言。だけど、今回は「もしもし」という聞き覚えのある女性の声。義母だ。
「もしもし」
「あ、亮ちゃん?父ちゃんが死んでしもた」
「え?え?…えーーーッ!!!ちょっと待って、和子さん起こすわ!!」
と隣の部屋の和子さんを起こす。
「行正はん亡くなったって、今、京子はんから電話が!」
「えええ!なんで?ウソォー!!」と絶叫し、
電話を変わった途端に、「なんで?」「いつ?」と言った後、しばらくして泣き崩れる和子さん。ここまで泣く和子さんははじめてだった。

数年前から少しずつ調子が悪くなってきた義父。とはいえ、こんなにも早くに別れがくるとは思っていませんでした。数週間前に見舞いに行ったら、声は弱々しいながらも、「亮ちゃん!来てくれたんや。すまんなぁ」と答えていたのに。普段通り、就寝時間に寝た後、ゼロ時の見回りの際には、すでに呼吸と心臓が停止していたとのこと。

和子さんは、そのまま迎えに来た義姉と一緒に、二駅隣の義母宅へ行き、朝までに手続きをすませ、家に帰ってきました。和子さんから「遺影に使える写真を探しといて」と言われて、午前中、二人を学校と職場へ見送った後、すぐにデータを検索。写真に写りたがらない義父の写真を探すのは至難の業。あっても、横を向いていたり、手で遮られていたり。あまりに一所懸命探していたのか、生ゴミを出すのを忘れてしまうという、ありえないミス。臭い封じのために、ジップロックをして冷凍庫にストックしている生ゴミは、次の回収日である火曜日まで溜めることに。

午後、家に帰ってきた義父の亡骸に挨拶をしに、大雨の合間をぬって加奈子と義母宅へ。和子さんも仕事を早めに切り上げて、義母宅で合流。加奈子は、そこから義姉の夫が教える数学塾へ。

まさかこんなことになるとは予想だにしていなかったので、土曜日は和子さんは普通に仕事、僕はSHARP製品の体験会。その瞬間だけは、いろいろ忘れて仕事モード全開。久しぶりの大阪で、むさぼるように情報収集。SHARPのついでにNTTとPanasonicにも寄って新製品体験。帰って、喪服に着替えて、いざお通夜へ。

遺影を見て驚き。写真を探したものの、結局、使えそうなものが見当たらず、「とりあえず」で送った画像は、3週間前にお見舞いに行った時のパジャマ姿。その画像の顔部分がスーツ姿と合成され、「それなり」に見える画像になってるでないの!会場に入ってすぐに「おおお!あの写真の顔が!!」でした。もとの画像をよく見ると、確かに首が真っ直ぐなのと顔の向きもイイ角度。惜しむらくは、iPhoneSEの貧弱なインカメラではなく、せめてアウトカメラで撮られたものだと、より鮮明だったはず。

お坊さんの読経は、これまでに聞いたこともない呪文系が大半。終盤、急にミュージカル系に。僕の祖父母宅のおつとめと大学院(佛教大学)で浄土宗のお経には馴染みがあるけど、浄土真宗のお経がこれほどまでに自由とは知らなかった。全体的に自由なのか?それともこのお坊さんが自由なのか?それはわからないけど、とにかくはじめて聞くタイプのお経でした。

お通夜で、和子さんの伯母さん叔父さん従姉に当たる人達とも同席。叔父さんに当たる人とは結婚してすぐに会って以来。伯母さんはかなり近所に住んでいるにも関わらず、初対面。「もしかすると、近所のスーパーで何度も会ってたかもね」という話に。亡くなった義父は親類縁者が誰もいなくて、親類は義母側の人達だけ。義母から、結婚当時の話などを聞き、義父が義母とは再婚だったことを知る。

お通夜でアルコール摂取量が若干オーバーしたせいか、スッキリしない。とはいえ、日曜日の葬式後は斎場まで自動車を運転せねば。実はお葬式というものに、ちゃんと参列したのは初めて。棺にふたをする前に、遺体との隙間に花を摘める際は、いよいよお別れが近づいた感も出てきて、皆シンミリ。すすり泣く声も聞こえていたけど、進行役の男性の、「あ、あの…お顔の上には花をのせないようにして下さいね」でなんだか和やかな雰囲気に。「花乗せすぎや。ワシ、息でけへんやん」という声が聞こえてきそうな、どこかとぼけた義父のお見送りらしく、フッと笑みが漏れた瞬間でした。

霊柩車に棺を積む際、男手は全員参加。もっと重たいのかと思ったら、意外と軽くて驚き。重たい棺はトコトン重たいのかもしれないけど、高齢化著しいこのご時世、見送る方も高齢化しているから、軽量化されてきてるのかな?

霊柩車を先頭に、1台のタクシーと3台の自家用車が連なって、京都市中央斎場へ向かう。事前に、場所をGoogle マップで確認。すると、京都一周トレイル東山コースの「東山13」から登ったところと判明。国道1号線からの入り口がわかりにくいけど、そこは先導に任せるとする。和子さんと二人の車内。ここまでの進行を振り返ったり、この先のことを話したり。ここ数週間、自動車の運転は僕の担当。和子さんは、誕生日を一ヶ月過ぎたのを忘れていて、免許更新をウッカリ失効中。

京都市中央斎場は、思っていたよりもキレイな建物。駐車場が満車の場合は、車で待つように言われていたけど、駐車場にはかなりの余裕がありました。斎場では淡々とプロセスが進んでいくんですね。自動ドアが閉まっていよいよ火葬へ。その間、遺族は待合室のような、カレーライスやうどん、コーヒーや紅茶、ジュースが売ってある学食のような食堂で待つ。エアコンも快適で、スリーシーズンの喪服を着ていても快適に過ごせました。

僕たちが斎場に着いた時、一つ前のグループが斜め隣のテーブルで待っていたのですが、1時間くらいしてそのテーブルが空いたのを見て、「そろそろかな?」と思ったら、本当に進行担当さんが「焼き終わったようです」と呼びにきました。葬式もはじめてなら、遺骨を見るのもはじめて。担当さんは骨を分類しながら、「これが脚の指ですね」「こちらが大腿骨」「肋骨があって…はい、ありました、第二頸椎、俗に喉仏と言われる骨です。砕けていることも多いんですけど、キレイに残っていました。ほら、こちら向きに座禅を組むお坊さんのように見えませんか?」と丁寧な解説も。

骨壺には、その第二頸椎までを先に、そして第二頸椎をキレイに収めた後、頭部の骨を入れ、最後に頭蓋骨頭頂部でふたをするという順に入れられました。

来た時とは別のルートで、再びセレモニー会場へ向けて出発。斎場にいたのは1時間半くらいでした。「今日は、思った以上にスムーズだった」とは進行の担当さん。帰りは担当さんの先導。「え?ちょっと周り道じゃないの?」と思った帰りのルートは、ルートが重なる=不幸が重ならないように、という配慮でとられたルートだったようです。

式場に帰ってくると、最後の法要である初七日。本来は亡くなって七日目に行う初七日も、最近は葬儀当日に行うことも多いそう。毎度集まるのもタイヘンだからかな。初七日の祭壇は、これまでとはうって変わった現代的な様相。非日常的な法要から、だんだん日常生活に戻ってくる感覚。

最後に、会食をして締めだったのだけど、なにしろ斎場での進行が予想外に早くて、会食はまだあかるい16時過ぎからスタート。斎場の食堂でひととおり食べたので、あまりお腹も減ってない。最後まで、全部食べきったのは孫世代達のみでは?僕もだいぶん頑張ってなんとか完食。「もう晩ご飯はいらんわ」状態に。

式場からの帰り、そのまま家に帰れるかと思いきや、持って帰る物が多くて、一度義母宅へ寄ることに。遺影に位牌、骨壺はもちろん、花や着替え類やなんやかんや。荷物はギリギリに。こんなことなら、トランクの中を空にして行けばよかった。和子さんを義母宅で下ろして、僕は帰宅。和子さんは、その後の段取りの打合せやらで、義母宅にて担当さんと打合せ。

夜10時頃、和子さんご帰宅。いろいろ家族トークで盛り上がったのもあったらしいけど、メインは担当さんの営業だったそうな。今回は、近所のセレマにお願いしたんだけど、担当さんはセレマの人ではなく、進行担当会社の人。セレマから手当が出るわけではなく、その後の営業がとれて、はじめて配当があるのだそうな。

葬式が終わって、3日。義父が生きていた時と変わらず日常生活は過ぎ、月曜日は毎年恒例の女子大での講義。昨日(火曜日)は、以前のお隣さんの友人主催のクラシックコンサートの準備手伝い。水曜日の今日になって、やっとホッと一息。

和子さんは、日々の出張は多いものの、住所は生まれてからずっと、親の家から10km以上離れたことのない人。一方の僕は、親とは100km以上離れて暮らすようになって、はや30年以上。親との物理的心理的距離感も全然違うんだろうなと、今回の件を経て思ったのでした。最初の一報が入った時に、「死に目に会えなかった」と嘆き悲しんでいた和子さんを見て、僕は全然ピンとこなかったけど、そこには「近くにいたのに」というのが含まれていたんだろうな。


ある日の昼下がり、電話が鳴る。
「あ!亮ちゃん?テレビが映れへんのやわ!ちょっと見に来てくれへん?」
声の主は義父。
「え?どんな感じ?」
「どのボタン押してもザーいうてるだけやねん」
自転車で10分ちょいの義父宅へ。
「よかった!今、点けるわな」

ザーーーーーー
(確かに、ザーっていってるけど、左上の「地アナ1」って…)

「あ、これね。ここのボタン(地デジ)を押すと…ほら!直ったでしょ?」
「ウワッ!こんな簡単に!こんなんにわざわざ来てもろて、ゴメンなぁ」
「もうこのボタン(地上アナログ)押しても、もう放送してないんやわ」
「そっかぁ」
テレビ好き(テレビ番組が好きと言うよりも、テレビという機械の存在が好き)な義父の、機材トラブル対応担当という感じだった僕と義父の関係。

あんなこともあったなぁと思い出しました。

 
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