03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

伏見・桃山探訪ツアーに参加

2018.04.07 (Sat)

2018040701.jpg
和子さんの母校である桃山高校の同窓会・設立100周年記念事業のイベント「伏見・桃山探訪ツアー」に和子さんと参加しました。

今回のガイドはNHK「ブラタモリ」の京都編には、準レギュラーと言っていいほど登場する梅林秀行さん。これはおもしろくないはずがない!ということでエントリー。

8:45区役所東口集合に合わせて、8:30に家を出たのに、半分以上行ったところで参加証を忘れているのに気が付きダッシュで引き返す。結局、8:46に集合場所到着。これから3時間半のウォーキングツアーをするのに、十分すぎるほどの準備運動。

ツアーは伏見区役所をスタートして、まずは伏見城下町から湧き出る水を溜める「ヨドミ」であった板橋小学、伏見中、万代スーパー、ハッピーテラダのある区画へ。「近代化は、近世の端っこから進む」という梅林さんのお話。中世近世の建物が残る場所では、大きな工場や公共施設は建てられない。そこで、近世までヨドミだった場所を埋め立てて、作られたのが学校であり、旧紀伊郡伏見町から伏見市になる役場が置かれたと。

そこから丹波橋を渡り、町人街へ。新町通、両替町通、京町通が今回のツアー第1部。
 
2018040702.jpg
「ブラタモリ」でも取り上げられた、不自然にも見える直線の道。「直線を見たら秀吉と思え」というタモリさんの言葉にもある、まさにその直線道路。

今でこそ、大手筋界隈や中書島寄りの京橋の方が栄えていますが、これは城下町として栄えるはずだった伏見の町が、豊臣支配が終わり徳川の時代になり、秀吉の作った外堀を運河として利用した港町として姿を変えたため、中心地が城下から運河沿いに移ったため。

ツアー第2部は京阪・近鉄線という桃山断層の上に広がる武家屋敷街。途中、町家とそうじゃない家の差、言い換えれば「町家はなにをもって町家というか?」など、なるほど解説も。

そして、桃山高校前では、御香宮前にある「黒田節発祥の地」の標を、リアル発祥地に移すべき!という梅林さんの力説。「ズバリ!この場所!」と指されたのは、桃山高校のすぐ近く。敷地の広い福島正則邸とはいえ、母里太兵衛の身分の者が通されるたのは台所の一室。当時の大名屋敷は建築フォーマットが決まっていたため、そこから導き出されたのが「この場所!」。

福岡の黒田家家臣が、尾張の家へ使いに行き、話の成り行きで酒をたらふく飲んで槍を手に入れて帰る。これは、全国の大名がこの地域に密集して住んでいたからできた逸話。この事実一つをとってみても、それまで誰もなしえなかった、天下統一を果たした秀吉の成せるワザであると言えます。

秀吉の時代には、諸大名が暮らしていた武家屋敷街も、江戸時代には武家屋敷はなくなり、見渡す限りの果樹園(桃畑?)に。戦後、住宅地として開発される時、再び地名としてかつての諸大名の名前が使われることになった。ずっと昔からこの地名ではなかったということも知りました。

ちなみに、「御香宮表門はもともと伏見城大手門」と御香宮のサイトにも紹介されているが、梅林さん曰く「これはどこかの大名屋敷の表門。大手門の建築様式とはまったく違うので、見る人が見れば間違いであることは明白」とバッサリ。なるほど、Googleで「大手門」と画像検索すると、御香宮表門とはまるで違う様式ばかり。

武家屋敷街からいよいよ伏見城へというところにある、かなりの段差。意図して作られた切岸であり、大坂城の構造から出曲輪であろうと推測。桃山町下野という地名から、「下野丸(仮称)」があったのではないか?ということで、今後の発掘に期待を寄せているというお話。

そしていよいよ第3部の伏見城。
 
2018040703.jpg
なんと言うことでしょう。普段、僕がランニングコースにしているこの場所は、伏見城の「西大手口」ともいえる門の南にある治部池のさらに南にある空堀跡地でした。

そして写っている岩は、桃山城の石垣。石垣の多くは、例えば平安神宮を作る際に持ち出されたりしたそうですが、このようにいくつかは残されています。この辺りは、地質上粘土質の土が多く、このような岩石がある山ではない。したがって、岩石はどこかから運ばれてきた物である。この辺りで岩石が運ばれる先は伏見城しかない。普段、なんにも考えずにここを行ったり来たりしていましたが、ここにも歴史的遺構があったんですね。
 
2018040704.jpg
ツアーは最終地点、北堀公園へ。伏見城の、まさに名前どおりの北堀。東山の尾根沿いに移動してくるであろう敵を迎え撃つための堀。「ブラタモリ」でも、秀吉の土木マニアっぷりが紹介されていました。

その北堀は、南側を20メートルの石垣が囲んでいるのですが、秀吉の時代は20mを一気に積み上げる技術がまだない。途中で踊り場のようなテラスを設け、二段重ねのような構造に。そのテラスこそが今の北堀公園遊歩道で、僕がランニングで走っている一周1.1kmコースの南面。秀吉の時代の名残を走っていたとは。ありがたやありがたや。
 
2018040705.jpg
最後に、夫婦で梅林さんを挟んで記念撮影。どんなジャンルでも、深掘りマニアの話は本当にオモシロイ。いくらでも話を聞いていたいです。3時間半のツアーでしたが、アッという間でした。
 
19:16  |  日々の出来事  |  Comment(0)
 | HOME |