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大阪マラソン2017の応援へ

2017.11.26 (Sun)

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昨日は、高崎市で講演でした。帰ってから連載原稿の締め切りを送信したり、レポートをまとめたり。なかなかの疲れ具合。今日はユックリ休もうかとも思ったんだけど、昨日の夜、なぜか「応援に行かねば!」というスイッチが入り、大阪へ行くキモチに。どうせなら、応援がプツッと途切れる39〜41km区間に行こうと。

ラン友のなかで、今回速そうなのは、「3時間半切り」を宣言した大学時代の先輩。もっと速いラン友は「今回は完走が目標」というので、先輩が40km地点に来るであろう時間を見計らって家を出る。

天満橋辺りから、序盤コースで応援していた人達が、応援の場所を変えるべく乗り込んでくる。地下鉄中央線に乗り換えると、続々と応援の人が増えてくる。

終点のコスモスクエア駅で降りるのは、ほぼ応援関係者。その流れに沿って駅を出ると、ちょっと遠回りの出口に出てしまった。そして、テクテク歩いて行くと、「アッチに行きたいのに渡れない」状態がズッと続く。もともと、この辺りは倉庫群で、周囲に食べ物屋もなければ自販機もない。こんな場所で応援しようという人も少ない。大会本部も応援の人が来たり、道路を渡ることを想定していないのかも。仕方なく、中央分離帯からの応援。

2015年大会で走ったのでわかるんですが、この辺って、最後のシンドイところなのに、風景は殺風景だし、応援の人も少ないから、ついつい足を止めてしまう誘惑に駆られるんです。「止まったら次がシンドイで」と応援している人もいるくらい。

予定の場所に着いたのは、ゴール時間が2時間台中盤くらいの速い人達。ランナーがポツリポツリとやって来る感じ。あの広い道路をポツンと走るのも、なかなか爽快なんじゃ?と思うくらい。そのうち、人が増えてくる。そんな中、「今回は完走で」と言っていたラン友トールがやってくるでないの。実は、ランナーズアイで確認していたけど、「完走で」というわりには、全然ペースが落ちず「このままで来ると、40km手前の応援ポイントに着く前に通過してしまうんじゃ?」と思ったくらい。さすがに電車は速くて間に合ったけど、彼はそのまんまのペースでゴールしたみたい。調子悪いと言えどもトールだわな。

続いて、大学の先輩。3時間半のペースセッターのちょっと後ろ。いつものようにニコニコと笑顔満点の走り。とにかく明るい!昔から変わりません。

「タイム狙います」のラン友さんは、4時間のペースセッターを囲む集団の中にいたのか、見付けることができず。残念。

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そして暢ちゃん。朝の投稿だと「6分半で…」とか書いてたのに、ランナーズアイで見ると、意外とペースが落ちない。ユックリいこうかな?と思っていても、実は無理にユックリ走るのは意外と難しいもの。イケルのなら気持ちいいペースで走るのが、実は一番楽だったりするもの。で、ほぼサブ4ペースでやってきました。通過するのを撮ったら、「ね!チャンと撮ってよ」とリクエスト。それならと、追い越して先に走っていき、待ち構える。結局、ペースだの心拍数だの気にせず気持ちいい感覚だけを頼りに走れたら、それが一番気持ちいいんよね。

地球上の生き物で、一気に40kmも走る生物は他にはいないらしいです。短距離だと人間より速い生き物はたくさんいるし、歩き続ける生き物もいる。そんな他の生き物がおそらく生きていく上ではほとんと必要のないことを、わざわざ設定して走る。これぞ、まさに「人間らしい」「人間固有」のことをしているでは?とフト思ったのでした。戦争も人間固有の行動かもしれないけど、そんな破壊的なことではなく、ただただ走るだけ。

走ってるラン友達や、見知らぬ大勢のランナーを見ていると、今シーズンは未だにハーフマラソン一本のみで、大会勘が鈍っている僕も「やっぱりマラソンっておもしろいわ」とやる気になってきました。
 
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で、帰りに乗った地下鉄中央線でホンマなら本町で降りるところ、森ノ宮駅まで乗ってRunWalkStyleで、YURENIKUIを新しく購入。前のオレンジ色のゴムがユルユルになってしまったので買い換え。オレンジは売り切れだそうなので、次は青で。青で再来週のホノルルマラソンにでます。

 
23:17  |  ランニング  |  Comment(0)

下館ははるか遠く(名古屋、東京寄り道記)

2017.11.13 (Mon)

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11月12日開催の茨城県筑西市(もよりの駅は下館駅)での講演に向かうべく、前日から東へ移動。途中、元連載担当さんの出演するトークショー(こちらの記事参照)を聞くために、まずは名古屋で下車。少しトークショーが長引き、味噌煮込みうどんを食べる予定が、新幹線ホームのきしめんを食べることに。
 
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新幹線ホームのきしめん屋は4箇所あるけど、そのうち3箇所は「住吉」。大学時代に僕が住んでいたのは大阪市住吉区。娘が通っていた保育園が住吉保育園。なにかと住吉にご縁があります。
 
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そして、下り新大阪方面ホームの東京よりにあるきしめん屋だけが他の店。他は四角い揚げが、ここは三角。

名古屋駅近くの店でご飯を食べる機会がなかなかなくて、店探しも今ひとつ要領を得られてません。新幹線ホーム側のエスカが、とりあえずひとそろい揃っていて便利なようだと気が付いたのは、名古屋を出発した後のこと。

一番上の画像の通り、富士山キレイに見えました。雪をトッピングした富士山。冬が近づいていますね。

さてさてお宿は東銀座、というよりもむしろ築地のホテル。東京駅からどうやって行こうかと探すと、いろいろルートが出てくるんだけど、一番安い東京→(丸ノ内線)→銀座→(日比谷線)→東銀座という一駅ずつ乗ることに。乗換距離も意外と短くてマシな方。

ホテルに着いて、トークショーの内容を記憶のあるうちにざっくりまとめた後は、日の入りまでの約1時間を有効に使うべく散歩。
 
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ホテルを出て、北西の方向に向かうと銀座や有楽町。そっちは後から行くので、ここは逆の南東へ。ホテルのすぐ隣のブロックには、いつまであるのかわからない渦中の築地市場。どうでもいい話だけど、世間では「つきじしじょう」と言われてますけど、確か子どもの頃、「目に見えるのは『いちば』、見えないのは『しじょう』」と習った気がするんです。建物や汚染水がどうのという見えるここは「いちば」なんじゃないの?と思うけど、今のご時世的には「つきじしじょう」なんでしょうか?
 
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その築地市場のすぐ隣の隅田川にかかっているのが勝鬨橋(錢高組の勝鬨橋解説サイト)。ウチの近所に掛かっている澱川橋梁もなかなかのヘビーメタルな橋ですが、こちらも重量感あふれる橋。表面のリベットが、これまた美しいのです。
 
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中から見た鉄骨組の幾何学模様がこれまたスバラシイ。
 
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そして真ん中部分。かつてはこの部分が跳ね上がり、その間を船が通行できた部分。今は固定されているらしいけど、それでも画面左のような大型車両が通過すると、ギシギシいいながら揺れる揺れる。橋が抜けてしまうんじゃないかと思うくらいの揺れ。
 
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勝鬨橋を渡ると、そこは月島。ここから今度は北東に向かう。そのまま南東に向かい、築地から豊洲に向かうという、「昨今都政で話題の地を歩く」のも一興だったけど、ここはもうチョット歩いて趣のある方向へ。

屋形船が係留してました。こういう街中に船が係留してある風景が好きです。大阪でも見られますし、京都でも川や疎水沿いなどで見られます。郷里の高松でもかつてはよく見掛けました。いわゆる心象風景というヤツでしょうか?東京でもこういう風景にであうと、なんだか知らない土地だけど、馴染めそうな気がしてきます。
 
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商店街が見えてきました。月島西仲通り商店街。真ん中の道路は車両通行止めの歩行者天国。
 
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昭和臭プンプンのイイ感じの商店街。その脇道は、もっと昭和!あの時代で止まっているような町自体が昭和展。大阪市立大学へ通っていた頃は、こんな感じの路地に入ったアパートに住んでいたので、これも一つの心象風景。路地好きです。
 
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そして、この商店街は、もんじゃ焼きストリート。お昼のきしめんが、まだお腹に残っている時間帯だったので、ここは美味しそうな香りの誘惑を振り切って、その先へ。
 
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途中の三番街の端にある交番。「空襲で焼け残った、日本で一番古い交番で…」というガイドさんの声が聞こえて、思わず振り返った交番。学生10人以上がガイドさんの話を聞きながら散策。この絶妙な距離感が今どきの学生やなぁと。
 
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そして、僕が向かったのは佃島。東京という大都会の真ん中にある、これまた昭和で時間が止まったような佃島。

ここは今の大阪市西淀川区佃(駅で言うと阪神本線の千船駅)の人達が江戸時代に移り住んだ町。移り住んだ由来が、これまた歴史的。本能寺の変で、岡崎城に帰ろうにも足がなく、大坂で立ち往生していた徳川家康。その家康に舟を提供したのが摂津国佃の漁民達。家康はその恩返しとして、彼らに江戸での居住地と漁業権を与えたという話。

画像は、佃島の佃煮屋。まさにこの地が起源。
 
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やっぱり、ここでも路地が気になる。

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この鳥居の川側(かつては海側)には住吉水門があり、そこから一直線に水門、鳥居、神社と繋がっています。
 
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住吉神社。今日は住吉にご縁あり。奥に見える鳥居の扁額は、陶製というちょっと変わった扁額。
 
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そして佃島が漁業の島であることの証とも言える風景。ここにカモメが写り込めば最高なんですけどね。向こうに見えるのは、日の出湯と大栄マンション。マンションの1階に銭湯!なんて便利!僕も大阪で下宿してた時は、徒歩2分の銭湯に通ってたので十分便利だったけど、1階が銭湯というのには負けます。
 
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そんな佃島の遠景を佃大橋から撮ると、こんな感じになります。PCゲーム「A列車で行こう」の現実風景のようです。
 
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そして、佃大橋からもう少し北に視線をずらすと東京スカイツリー。
 
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カメラの望遠を使って拡大。ここだけ夕日が当たって、赤いスカイツリーに。

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ここまで来たので、近くにある聖路加国際病院を回ってみることに。教え子が何人かここで勤めてました(今もかな?)。医療や看護の世界では、有名な病院。日没寸前、ちょうど十字架のところに最後の日の光が当たって輝いています。
 
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この辺りに来ると、急に腹が減ってきた。月島のもんじゃ焼きまで戻るか…とも思ったけど、ここは銀座方面に足をすすめてみる。が、銀座方面、まだ開店してない店が多数。仕方なく有楽町まで歩く。せっかく有楽町まで来たのなら高架下へ。ということで、線路の下の居酒屋へ飛び込む。おやつとジュースを飲んでとりあえず回復。
 
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一杯700円というなかなかのお値段の生中ジョッキでしたが、見ての通り10回に分けて飲んだ後がクッキリ。これは泡の作り方が上手だったからです。もちろんグラスの管理やサーバーの管理も行き届いている証拠です。値段の分は価値ありです。
 
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おやつとジュースを飲んで、お腹も落ち着いたところで、一度ホテルに帰ることに。帰り道、歌舞伎座の前を通って気が付いた。「仮名手本忠臣蔵」の「山崎街道鉄砲渡しの場」を上演中。勘平さんと千崎弥五郎のところ。幕見席も残ってたみたい。時間を見ると、夜の部の待ち合わせ時刻と重なる。う〜残念。
 
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歌舞伎鑑賞の名残惜しさもあったけど、とはいえ夕食は、知り合って12年の友との楽しい飲み会。もう会う前から話したいこと山盛りで、楽しくないわけがない。やっぱり始まったらその通りで、7時半から飲み始め引き上げたのは23時半。それでも喋り足りない!合宿でもしないと、とうてい喋り尽きませぬ。その間にもまぁたくさん飲みました。翌日は講演だというのに、喋りまくってしまったし。でもホテルの加湿器が超優秀。翌朝には喉も潤いスッキリ。

風の強い名古屋と東京でしたが、気温はそれほど低くなく、日向にいると寒さはマシでした。夕方は歩いて温もり、夜は酒と話で温まり、楽しい移動日でした。
 
18:32  |  旅行  |  Comment(0)

わけあり記者のトークショー

2017.11.11 (Sat)

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2102年9月から2014年7月まで、僕の東京新聞での連載「楽家事 スーパー主夫」の担当をされていた三浦耕喜さんのトークショーを見てきました。

中日いきいき介護展」のステージコーナー「中日新聞生活部記者の両親ダブル介護」で登場。『わけあり記者』という著作もある三浦さん。中日新聞でも「生活部記者の両親ダブル介護」という連載をされています。

両親の介護に加えて、本人もパーキンソン病を発症していて「わけあり」といえども、なかなかたいへんな「わけあり」具合。僕の連載の担当だった頃に、数回、京都で晩ご飯をご一緒しましたが、その当時と比べても声量も話す速度も落ちていました。が、初っ端に軽く冗談を入れるあたりは変わってませんでした。きっと見たり聞いた感じは、以前と変わってるんでしょうけど、中身はそのままなんでしょうね。

両親の異変に気付いた時の話、はじめての相談はどこへ?要介護状態を受け容れる心境などなど、司会者の進行のもと話はすすみ、最後に、来場者へのメッセージとしての話がよかったです。

「真剣にはなるが、深刻にはならない」
という話。深刻になると、前を向く力も失われてしまう。

そして、もう一つ、
「二言が言えれば道は必ず開けます。一つは『助けて下さい』、もう一つは『教えて下さい』です」
抱え込まないことが大切だけど、さらにこの二つが言えれば、自ずと周囲は助けてくれると。プライドなんかがジャマして、なかなか言えないかもしれないけど、「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」です。「なんだ、そんなことだったのか!」「そうすればよかったのか!」があれば、「その後」は大きく変わりますね。

明日の、茨城県筑西市での講演で、ひとまず東京まで向かう途中、名古屋で降りて、トークショーに参加した甲斐がありました。

 
18:44  |  日々の出来事  |  Comment(0)

マツコの知らない世界「マンガ飯の世界」

2017.11.07 (Tue)

たいてい、昼ご飯の時間は、録り溜めた番組を(1.5倍速で)流しながら食べてます。今日は2017年10月31日放送の「マツコの知らない世界マンガ飯の世界。梅本ゆうこさん2回目の登場でした(梅本さんのサイト「マンガ食堂」はこちら)。

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スペシャルゲストで『スーパーくいしん坊』の漫画家ビッグ錠先生の前で、漫画に出てくる「火の玉チャーハン」を実演。リハーサル時には中身が飛び散り「地獄でした」だったそうな。梅本さんの服が、マツコさん曰く「あら!」というくらいオシャレになってたのは、リハーサルの惨事で服がベチョベチョになってしまったかららしい。

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しかしまぁ、梅本ゆうこさん。楽しそう!ビッグ錠先生をして、「誰もやらないだろうと思って描いている」というようなことを、テレビという機会を使って実験できるなんて。

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取材や出演って、ただ出るだけの時もあるけど、会社でとったアンケート調査結果を教えてもらえたり「やってみたかった」ことに挑戦できたりする機会があったりもします。制作や取材の人だって、よりオモシロイことを撮りたいし聞きたいと思うんですよね。「こんなのやってみたらどうでしょ?」という提案の引き出しがあるとオモシロイのは、なんにでも言えることでしょうね。

 
08:16  |  日々の出来事  |  Comment(0)

あいの土山マラソン棄権

2017.11.06 (Mon)

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11月5日開催の滋賀県甲賀市で行われる「あいの土山マラソン」。早々とエントリーしながら、前日夜の時点で棄権しました。

10月26日に30km走、11月1日にハーフ距離をレースペースで練習ラン。11月1日はかなり軽い感じで走れたので、「こりゃ、(あいの土山マラソンの)コース高低差は厳しいけど、ベストタイム狙えるかも?!」というくらいの仕上がりに(あえて狙いにはいきませんけど)。ところが、3日の夜から体調が急変。今思えば、2日に加奈子がゴホゴホ咳をしながら学校から帰ってきてたし、気を付けてはいたんだけど…。

前日4日は、一日中身体が病気明けのようなフワフワフラフラ。試しに北堀公演を4kmだけユックリ走ってみたけど、ピリッとしない。走っている間はともかく、止まるとグラ~ン。こりゃ辞めた方がイイなと判断して、棄権することに。

棄権を決めて迎えた当日。ちょうどスタート時刻くらいから鼻水がダラダラ、喉はイガイガ、クシャミも連発。「あ、こりゃ棄権してよかったな」となりました。

一緒に参加することにしていた、ラン友佐藤さんにゼッケン交換葉書をお願いして、参加賞のTシャツとお茶を持って帰ってもらいました。イイ天気だったし、暑くも寒くもなく、風はちょっと強かったみたいだけど、参加した皆さんはボチボチのタイムだったようなので、残念感「大」。

去年の奈良マラソンに続いて、2年連続の棄権。ガックリ&トホホ。

とはいえ、今年の山は来月10日(現地)のホノルルマラソン。タイム云々よりも、とにかくベストな状態でハワイまで行き、ゴキゲンで走れるようにもっていくだけ。

この記事を書いている月曜日のお昼前時点。喉の痛みもだいぶん和らぎ、鼻水も落ち着いてきました。もうチョイで完全回復!午前中、いつも診てもらっている耳鼻科と薬局へ行くと、「去年もこの時期に来てるよ」と言われました。恒例になっていたとは。

 
11:45  |  ランニング  |  Comment(0)

大学のあっち側

2017.11.03 (Fri)

facebookで、大学時代の後輩が母校の画像をあげていて、「ここは元の学生寮があった場所でしたっけ?」とあったので、「そうそう、その場所には杉本寮がありました」と返信しところから、もう一つあった寮の名前は思い出せるが、漢字が思い出せなくて、あれこれ調べました。

そんななか、「大阪市大」「寮問題」で検索したところ、「転換期の大阪市立大学ー元事務局長の回想と提案ー」というエッセイを見付けました。

僕が大学に在籍したのは、1987年から1992年。この事務局長が着任したのが1990年1月だから僕が3回生の後期途中。離任したのが1992年3月だから僕の卒業と同時。学生時代の後半に事務局長が交代していたなんて、まったく知らなかったんだけど、このエッセイのおかげで大学のあっち側の話を知ることができて、「そういえば、そんなコトがあったなぁ」と、当時のいろんな出来事と繋がりました。

母校に大きなビルがいくつか建って大きく変化するのは、僕が卒業してからのこと。その種まきの時期の話で、僕は変化の恩恵には直接授かれていません。とはいえ、旧態依然としていたから受けられる恩恵もたくさんありました。

僕は酒屋が経営するアパートに下宿していたんだけど、大家である酒屋には立ち呑みがあって、昼間っからいろんな人が来て一杯ひっかけていました。その昼間っから呑んでいる人達の中に、理学部の先生もいて、下から「お〜い!山田くんいるか?呑まんか?」と声をかけられ昼ビールを付き合ったことも度々。話の聞き役をしたご縁で、研究室のプリンターを使わせてもらったり、夏場のプール券を回してもらったり、その他いろいろ…。古き良き時代でもありました。ちなみに、理学部の先生と昼間から呑んだのは、僕が脱サラ後、アパートに出戻った時期で、現役の学生と先生が昼間から呑んでたわけではありません。

はなしを戻すと、そのエッセイのおかげで、もう一つの寮の名前が「志全寮」だったことが判明。

杉本寮の方は、僕が入学手続きだったか履修説明だったかの日の朝に、下宿から学内の会場へ向かう途中、機動隊が寮を取り囲んでいる風景に遭遇。不法占拠の排除だとかだったと思うけど、あんなたくさんの機動隊員を、田舎モノの僕は見たことがなかったので、「えらいところ(大学)に来てシモタ」「大阪は怖いところや」という印象に。帰ってから大家に話すと、「あぁ、あそこはしょっちゅうやで」とケロッと話してたので、「あ、そんな日常的なことなのね」と安心したモンでした。

 
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