10月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫12月

主夫とひと言でいっても本当に多様

2011.11.19 (Sat)

この季節になると、毎年、学生から卒論研究のためのインタビュー申し込みがあります。数年前は、「男の子育て」についてが多かったですし、「男の生活自立」的な内容の申し込みがあった年もありました。今年は今のところ「主夫」についてのインタビュー申し込みがあるだけです。

お決まりのパターンとしては、「他に主夫の方を知りませんか?」という一文が申し込みに入っている点です。

まぁ、率直に言うと「主夫の定義」をどう考えているのか?あるいは「主夫の範囲」をどこまで考えているか?が今ひとつ絞り切れてないみたいです。実は、ここが論文の核の一つになる部分なんですけどね。漠然と「主夫の方をしりませんか?」では、こちらも「ん~~~~~」と考えてしまいます。

「話を聞いてからまとめる」という流れも理解はできますが、事前にちょっと調べてみるだけでも、「主夫とはどういう状態か?」の範囲が多様であることに気付くと思います。

専業主夫を「賃金労働はまったくしてなく、家事に専念する男性」としても、この家事の量によっては、ずいぶん内容が違ってくると思うんです。

定年退職して日中は仕事に出掛けている妻にかわって炊事・洗濯・掃除をしているという男性を主夫とするなら「定年退職主夫」。
失業して、日中ブラブラするのもなんだから自分の事の延長に家の事もするという「失業主夫」。
仕事はゼロだけど、家事もかぎりなくゼロに近い(むしろマイナス?)「ヒモ主夫」。
本人は一生懸命家事してる(つもりな)のに、要領や効率が悪くて、彼女に「キィ~!役立たず!」と罵られること多々という「名ばかり主夫」「ヘタレ主夫」(山口照美さん命名の「ゆる夫」)。
ヒモやヘタレじゃなくて病気療養中で家事実施率低め「病気療養主夫」。

などなど、いろんな「主夫」が見えてきます。
これが兼業主夫になると、もっといろいろ見えてきます。

専業主夫の場合は、その家事量によって、いろんな主夫がみえてきたわけですが、兼業主夫になると、これに仕事の量というか収入の量によっても、いろいろ分類することができます。

基本的には、妻の被扶養者であるというイメージが「主夫」にはありますが、厳密には、被扶養者でない場合も多くあります。そもそも家計や世帯主などは、表面的にはわからないプライバシー部分によるものなので、他人が外から見て判断するわけにはいきません。

僕のように「主夫」と公言しながらも、妻の扶養からは外れてしまってる者もいます。でも、収入がかなり不安定なので、月によっては扶養家族のようなものになってる時もあります。

例えば、年収131万円(僕はもうちょっだけ多いですが(^^;)だと、年金や健康保険、扶養手当という面からみると扶養の外れた独立状態ですが、その年収では(家計規模にもよりますが)実質的には妻の収入に依存せざるを得ないでしょう。制度的には独立していますが、実質的には扶養されているようなものです。この状態で家事の主たる担当者である男性は「主夫」になるのか?「独立ギリギリ主夫」とでも言いましょうか?

かと思えば、妻が入退院を繰り返していて、家事も子育ても夫がしている。その夫は会社の社長!(まさに佐々木常夫さんのような方ですが)というような「大車輪主夫」も存在します。

「仮に家事実践率100%であっても、会社社長だと主夫とは言えない」と言われそうですが、個人経営の場合でも法人化していると会社社長になります。「社長一人、全従業員一人」の場合もあります。社長だからといって収入が多いというわけでもありません。同じ程度の家事をしていたも、その会社の規模や給与によって主夫になったり主夫にならなかったりする可能性も否定できません。個人経営の会社でイマイチ収益が…妻の収入が家計の大黒柱!という「社長だけど実質主夫」。

実質的には「主夫」と同じなのに、伴侶がいないだけで主夫から外れる「シングルファーザー」もいます。
仮に、妻が単身赴任中という夫の場合は、彼の収入の多少を問わず主夫活動も不可避です。子どもがいなければ単なる「一人暮らし」になりますが、子どもが夫と同居してる場合は「ほぼシングルファーザー主夫(この表現は語弊がある!なんか他の言い方は無いものか)」「大車輪主夫ただし妻抜き」。

なんだかもうゴチャゴチャになってきました。加奈子も寝たので、一人で最後のビールを一缶プシュッとあけたら、さらに混沌としてきました。もっといろんな主夫をイメージできていた気がするんですが、今日のところはこのへんで。

とにかく、卒論を機会に、「主夫」に接することになった学生さん達。まずは話を聞いてから!ではなく、事前にどれだけ学習してからインタビューにくるかで、インタビューの内容は大きく変わってきます。薄っぺらいインタビューにうんざりして「もう学生インタビューは受けない」となった主夫もいます。僕は、教師という立場もあるので、人材育成という視点からも学生のインタビューは基本的に断りません。でも、レビューを送ってこない学生がいたり、ホンマに事前学習の足りないインタビューを受けると、「おいおい担当教員ちゃんと指導せんかい!」と思います。

深いインタビューにする一つのポイントは、なぜ自分はこのテーマに興味をもつようになったのか?を掘り下げることです。「珍しいから」「おもしろそうだから」では、十分な研究テーマにはなりません。星の数ほどある研究対象の中で、なぜ「主夫」なんてものに興味をもったのか?いつから?なにがきっかけで?「主夫」からなにを探りたいのか?なにを知りたいから「主夫」の話を聞くのか?

これらは、つまるところ、自分を振り返ることに戻っていくのです。だから卒論は書いたほうがイイのです。

それと、台本ありきで「これを言ってくれたらまとめやすい」「こういう内容をまとめて喋って欲しい」というインタビューにはギャラが発生することも承知してほしいところです。
23:09  |  男の家事  |  Comment(0)

男性の家事は被災地だからこそ大切

2011.10.08 (Sat)

今年前半は例年以上に忙しかったのに、
秋以降の講演はポツンポツンと予定が入ってるだけ。

もう主夫が人前で
「男性も家事した方がエエで」
と講演する必要のない時代が来たか?
と、うれしさ半分、さびしさ半分。

聞くところによると、
今年は東日本大震災の影響で
各自治体で予定されていたいろんな種類の講演が、
危機管理や安全管理、メンタルサポート等の講演に変更されたようです。
今年後半の超ノンビリ状態も、それを聞いて納得。
そりゃ、男女共同参画よりも孤独死防止が優先されますよね。

そんな中、昨日だったか一昨日だったか、夕方のニュースで
被災地のパチンコ屋が、朝から男性達で大入りだと。
聞けば、「仕事はないし、家にいてもやることないし…」と。

仕事がないというのは、ホンマにさびし~なるもんです。
預金残高がみるみる減っていくのは、
希望や復興と逆方向な気持ちになります。
僕も阪神淡路大震災がキッカケで仕事を失った一人なので、
その気持ちはよくわかります。
そんな寂しさや心細さを紛らしたい気持ちもよくわかります。

でも、決して儲かるもんじゃないのがパチンコ。
時間も金も失い、おまけに依存症にでもなってしもたら、
復興や再建はますます遠ざかります。

発想を変えてみることが必要です。
「仕事がないからやることがない」ではないのです。

生きてる限り、やることは身の回りにイッパイあります。
とりあえず、今日食べるもののことを考える。
今夜、寝るところのこと、
明日、着るもののこと、
親や子どものこと、近所のこと、学校のこと…
そういうのをひっくるめて「家事」といいますが、
家事は、毎日やることがあります。

そして、やればやっただけ結果がでます。
仕事探しはやってもなかなか見付からないかもしれません。
でも、鍋は磨いたら磨いた分だけキレイになります。
洗濯物は一つずつでもたためば確実に片付いていきます。
料理で失敗することがあるかもしれませんが、
確実に役立つ経験が身に付いていきます。

こんなに結果がわかりやすく、身になる「やること」、
家事以外では日常生活にはなかなかありません。

結果が見えるから、気持ちも晴れていきます。
気持ちが晴れていくから、
今やってる家事と、少し先の片付いた未来がつながります。
見通しが立つから、笑顔の時間も増えていきます。
笑顔が増えると…


シンドイ時こそ家事しましょう!


「男性も家事した方がエエですよ」というのは、
被災地のパチンコ屋のニュースを見てもわかるとおり、
まだまだ浸透してません。

男性も家事してみることは、
本当に小さなささやかな一歩ではあるけど、
間違いなく復興に向かう一歩です。
こんな一歩が積み重なって、道路や建物だけじゃなく
日々の暮らしや心の復興ができるんだと思います。
00:50  |  男の家事  |  Comment(0)

母から伝わる固定的性別観

2011.08.26 (Fri)

2011082601.jpg
画像のような、いかにも「夏休み!」という空のもと、大阪府島本町の人権啓発施策審議会に参加してきました。今回は、今年5月から6月に町内で行われた「男女共同参画に関する住民意識調査結果」の報告でした。

100ページチョイの報告書をジーッと聞きながら、あれやこれやと思うことがありました。

たくさん気付くところがあった中で、一つ「おおお!」というデータがありました。それは、小中学生へのアンケートで「『男だから○○しなさい!』『女の子なのに※※して!』と言われた経験」から「その時の気持ち」や「誰からそれを言われたのか?」という一連のアンケートです。

「誰からそれを言われたのか?」一番多いのは、小中学生の男女ともに「母」からでした。その項目には、父、学校の先生や近所の人や友達、祖母、祖父、親戚、施設の人などいろんな項目もあるのですが、そのなかでの「母」でした。これは「一番親密に接するから」という分析もできます。ですが、そもそも、母自身にそういう観念があるからこそ、そういうシツケにもつながっていくものです。

性別による固定的な価値観の押しつけというのは、よく女性が男性から押しつけられるという訴えを耳にします。そういう面はもちろん存在します。でも、母という女性からの何気ない、だけど日常に根ざしたところからの刷り込み教育も否定できません。

よく僕が講演で「男性の家事や育児への参画」の話をすると「そんなのは、私たち女性にではなく、男性に向けてして欲しい」というアンケートが書かれていたりします。でも、なんの気なく「あんたは男の子なんやから家事なんかせんと勉強しときなさい」と言ってるお母さん方も少なくないというのが、この結果から見えます。

「私はそんなこと言ってない」という人もいると思いますが、「言われた」と子どもたちが言っているデータなので、やっぱり子どもたちの言う方が信憑性があると言えるでしょう。「セクハラなんてしてない」と男性が言っても、それは被害女性が「された」と言う訴えがまずは尊重されるのと同じだと思います。

もっとも、母親のみんなが「男の子なんやから☆☆しなさい」「女の子は○○やで!」と押しつけてるわけではないのは十分承知しています。そういうことへの意識の高い女性も大勢います。意識の高い男性もいるし、低い男性もいます。ただ、「女性が全員、意識が高いというわけでもない」ということが言いたかっただけです。

そして僕が女性参加者の多い講演会場でも、男性の家事や育児参画を話す意味は、やっぱりあるんやなと確認できたという点です。もっとも意識の低い人は、講演会場に来る意欲も低いと思うので、「ここにいらっしゃる皆さんは大丈夫だと思ういますが、みなさんの周囲の男性だけじゃなく、女性にも、どうぞ働きかけて下さい」という伝え方が一番でしょうね。
15:32  |  男の家事  |  Comment(0)

家事はワークか?ワイフか?

2011.07.28 (Thu)

明日は岡山県高梁市でワーク・ライフ・バランスをテーマにした講演します。

いつも、ワーク・ライフ・バランス講演の中で、
「これはワークか?それともライフか?という区別は不毛だ」
という話に触れます。

例えば、普段、学校がある日に、自分が食べるためだけに作る昼ご飯は、「なに食べようかなぁ?お、これが残ってたか!コレなら…煮込んでみようかな?」と自分の好みの味で、自分の腹具合に合わせた時間と量で食べることができます。リフレッシュも兼ねた時間で、これは、僕としてはかなりライフ的(私的)な時間のように思います。

しかしながら、ただ今、加奈子の夏休みまっただ中であります。こんな時の昼ご飯は、これはもうワーク面がかなり大きくなってます。自分の腹具合とは関係なく「なぁ~パァパァ~、お腹へったぁ~」と言われると、こっちはそんなに減ってなくても、仕事が佳境に入っていても、「ちょっと待っとき!」と言うか「シャ~ナイなぁ~」と作るかです。料理は、親としての義務的ワークに成り下がります。でも、逆にいうと、こういう時間があればこそ、学校がある日の昼ご飯が相対的に「楽しみ」にも見えてくるわけです。

同じ昼ご飯を作るという行為で、しかも同じメニューであったとしても、状況によってワーク的になったりライフ的になったり。つまり、家事はワークか?ライフか?という区別はあんまり意味が無いことになります。

僕は、ワークとライフを区別をするのは天秤的発想のバランスで、ワーク・ライフ・バランスというのは、東洋の太極図のように、ワークとライフがお互いに影響し合い、その境目も直線的ではなく曲線的であるという考え方ではないかと捉えています。

お互いに影響し合うことを差して、ワーク・ライフ・シナジー(相乗効果)という論者もいますが、マイナスの意味での相乗効果(相殺効果?)も起こしうるので、相乗効果とは言い切れないと思います。



…と、まぁ、明日の講演があるので、辛気くさいことをつらつら書きましたが、言いたいのは、

夏休み中の昼ご飯作るのって、ホンマにタイヘン!

ということです。普段以上に手抜きしてしまうのは、こういう事情です。

僕の母は、休み中も朝に昼の弁当を作ってました。家で食べる時も、昼は母の弁当。弁当箱には入ってなくて一皿に盛りつけられてました。これなら仕事も中断されなくてエエです。でも、冷たいご飯って、美味しくないんですよね。でも、作る側になると、弁当でエエやん!という気にもなります。無理の無い範囲で、いろいろ選択しながら乗り切っていきたいもんです。

とりあえず、明日は目一杯喋ってきます。
23:15  |  男の家事  |  Comment(0)

どおりで役が回ってくるわけです?

2011.06.02 (Thu)

ここでも書いたように三田市と島本町で委員役が回ってきたのですが、「なぜ今?」と思ってたところ、どうやら第3次男女共同参画基本計画の

第2部 施策の基本的方向と具体的施策
  第3分野 男性、子どもにとっての男女共同参画[PDF 247KB]

で、「男性への男女共同参画も促進せんとアカンで」と書かれているからかも。

しかし…ここでも、父子世帯への支援は書かれていませんなぁ。一番、昭和的な男女性別役割分担の歪みがでるところなのになぁ。

男性自殺者の方が圧倒的に多い現実を解消することや、男性にも生活自立機会の保障を与えること、そして、以前書いたように他ではないような、

・男性への家事、子育て、介護支援
・病児保育サービス
・男性DV被害者への支援

などを盛り込めるようにしたいです。
16:27  |  男の家事  |  Comment(0)

大人向けの食育が必要だ

2011.05.06 (Fri)

食中毒:男児2人が死亡 同系列の焼き肉店で食事の件。

事件については、その原因の究明や経過を注視する必要はあると思います。亡くなった子どもに罪はなく、本当に気の毒です。

とはいっても、この種の件は、いつ我が身に降りかかるかわかりません。最終的には自衛しかないと思います。

一般庶民が、外食で生ものを食べられるようになったのは、おそらく最近のコトだと思います。寿司なんてのは、子どもが店でヒョイヒョイと食べられるようになったのは、回転寿司の登場以降でしょう。それ以前は、子連れで寿司に行くには、親は一大決心して、財布の中身をシッカリ確かめてのれんをくぐったと思いますし、入ったとしても、庶民は「それはダメ」「こっちならOK」とシビアだったと思います。

ましてや魚よりももっと管理が難しい獣肉など、まともに管理しようと思ったら安く売れるはずありません。

そのくらい、生ものを管理し販売するには、本来コストがかかる(はずの)モノです。冷凍&解凍方法や流通技術が進み、安価に食べられるようになったとはいえ、生もののもつリスク自体が減ったわけではないですし、やっぱり生もの摂取は注意が必要ですね。

子育てに関われば、子どもへの食事が慎重だったのを思い出すはずです。乳児にハチミツを食べさせてはいけない(乳児ボツリヌス症の影響を考慮の理由)や、アレルギー反応をみながら卵も少しずつ(黄身からだったか白身からだったか忘れたけど)というように。

子どもに「それ美味しそう!食べたい」と言われても、親がチャンと「子どもは消化器官が未熟やからダメ」と制止しないとアカンと思います。酒やタバコ以前に、こういうところもチャンと社会教育が必要やと思います。とくに離乳食などへの関わりが少ない男性は要注意です。

「食育」は、大人が子どもにするのが一般的かもしれませんが、僕は、大人が「食育」できる機会を提供するのも大切だと感じています。

間違った栄養情報が蔓延しているせいか、貧困でもない裕福な高齢者が栄養失調になっているケースも見られます。逆に、栄養過多で肥満傾向児の割合は年々増加しているようです。それに呼応する形で、体重減を目指す「ダイエット」(本来は食事という意味ですが)情報もあふれかえっていますが、偏った食事で体調を崩している人が大勢います。「これを食べれば治る」という霊感商法まがいの商売もあとを絶ちません。

「大人は食べ物のことをわかっている」というのは、願望としてはありますが、実際のところは非常に心許ない状態です。今回の事件を機会に、大人の「正確な」食物教育をもう一度問い直したいところです。その機会を大人に与えて欲しいと願います。

実のところ、僕もまだ知らないところがたくさんあります。食べ物の教育は、家庭科の時間以来、公的には行われていないと思います。親からいくらか教わってはいますが、21世紀の生活食事事情というのも変化してます。仮に「昭和の食事がイイ」と言っても、昭和のいつか?どの地方か?どの所得階層か?にもよっても随分違ってきます。より科学的な根拠に基づく、食事情報の提供。公共の保健機関じゃ無理かなぁ。

なるべく、作り手の顔の見えるところで食事をしたいと思います。作り手も食べ手の顔が見えればこそ、「美味しく食べて欲しい」「チャンとしたものを」と思えると思います。作り手のそんな気持ちを引き出すためにも、「頂きます」「ごちそうさま」もちゃんと言いたいし、運んでくる人にも「ありがとう」を言うことで、間接的にも伝えられると思います。それは、庶民が安全に外食する知恵というか技術だと思います。

タグ : 食育

13:14  |  男の家事  |  Comment(0)

いろんなワーク・ライフ・バランス提案があっていい

2011.04.29 (Fri)

連休中にホームページを再構築しようと思い立ち、これまで講演記録を書き出したり、講演DVDを見直したり、サイト内のコラムの取捨選択をはじめ(ようとし)てます。

「最近、ワーク・ライフ・バランス講演もチョットずつ増えてきたなぁ」と感じていたそんな時に、某団体のニューズレターが届き「私が『ワーク・ライフ・バランス』という言葉を使わない理由」という学習会の記録が目に止まりました。

内容は、「ワーク・ライフ・バランス」が限られた人のためのモノになってしまっているのでは?もっと根本的な問題(正規非正規、男女など)の解決が先では?という内容でした。これはこれで、こういう意見もあるやろなと思います。今、一般的に言われている「ワーク・ライフ・バランス」が限られた人のためのモノになっているのも否定できません。ワーク・ライフ・バランスという言葉が、超人的な仕事をこなす人や、経営者達や、食べていくのに困ってない富裕層のものになってしまっている面もあります。「僕には無理」「遠いモノ」として捉えられている側面も確かです。

こういう現実もありますが、問題自体を俯瞰するなら、解決の順序立ては決してすっ飛ばしていい議論だとは思いません。小手先のワーク・ライフ・バランス確保では全然ダメだ!というのもある程度は共感できます。

ただ、それでも人は日々を生きているわけです。当面の生活を考えた時は、問題解決の順番については、どっちが先でもエエというか、むしろ大きな問題を出すことが、どうにもならない感やあきらめ感につながる気もします。

自分から「なんかエエ方法はないかな?」「○○したいけど、どうしたらエエやろ?」という問題意識をもって行動している人は、正規/非正規、総合職/一般職、男性/女性…関係なくいます。そんな「なんとかしたい」に僕は「スーパー主夫のワーク・ライフ・バランス提案」として、生活の中でいちばん緩急付けやすい、家事時間を自在にコントロールすることで、ちょっとだけでも余裕が生まれるなら、まずはそれから取り掛かってみては?と講演で提案しています。

こういうやり方に対しては、批判があるのも承知しています。当面の生活改善に終始させることで、根本的な問題から目を逸らさせているという批判です。ただ、それに対して、僕は当面の生活に余裕ができてこそ、大きな問題にも向き合えるという反論をしています。

「労働者は資本に搾取され貧困化の道を歩まされている!」というような論調の方もいます。でも、そういう議論自体に、庶民が接することができるのは、必ずしも資本が貧困化だけには向いていないというコトです。本当に貧困化だけなら、僕たち庶民が本を読んだり、大学に通ったり、コンサートに行ったり、旅行したりすることすらできないはずです。同じように旅行をしても、ただ消費するだけの人もいれば、そこから学ぶことのできる人もいます。

少しずつでも、道を開く人は開いていくと思います。そんな人を見て「あ~エエなぁ」「楽しそうやなぁ」と思った周囲の人がちょっと真似してみる。それが広がる方が、きっと地に足の付いた確かな歩みが得られるような気がします。

僕はカレツキーの「最貧者は革命など求めない。変化によって、今あるわずかな財産さえも失うことを警戒するからだ」という言葉を思い出します。上からの「革命」が結局のところ成就しないのは、歴史を見ても明らか。つまり、小手先のワーク・ライフ・バランスではダメだ!というような、より大きな問題の解決もそれへの視座だけでは、結局なにもかわりません。

なにごとも「大きなビジョンと小さくても確実な一歩」この組み合わせが大切です。


先日、『自分でつくるうまい!海軍めし―簡単!早い!おいしい!』という本を買いました。戦争でより戦果を出すためには、兵士一人ひとりがチャンと栄養のあるモノをシッカリ食べ、十分に睡眠もとらないとという、これもワーク・ライフ・バランス的な発想です。

これを戦争を仕掛ける者達の支配の論理ととるか、一兵卒のささやかな楽しみ(シタタカなサバイバル)ととるかは、その人の立場や主観によるものだと思います。少なくとも、僕が太平洋戦時を過ごしていたなら、間違いなく一兵卒として駆り出される側の人間です。きっと、一日一回か二回の食事に、「う、美味い!今日も生き延びた」とシアワセを感じたと思います。
18:08  |  男の家事  |  Comment(1)

買った物を使いこなす

2011.01.22 (Sat)

ワーク・ライフ・バランスのエエところを話す時に、「自己研鑽する時間がある」は一つの売りだと思います。

経営者にとっても、研修を自前でしなくても、自分からすすんで研鑽する社員がいるというのは、都合のエエことやと思います。働き手にとっても、見聞が広まるし、仕事が広がる可能性もあるし、「もしも」の時に自分の身を助けるものになるかもしれません。語学や資格といった、必ずしも「いかにも自己研鑽」的なものでなくても、社会人大学院に通うとか、趣味に没頭するというのもエエと思います。

そんな自己研鑽の中の一つに、「所有している物を使いこなす」というのも入れるとイイと思います。せっかく買った多機能携帯電話なのに、結局、使ってるのはメールとカメラと電話だけという人、周囲でもいます。それだけしか使わないのなら、安い単純な携帯電話でエエと思うんです(基本機能だけの携帯電話は少ないですが)。

オーブンレンジもホンマに超多機能化してきています。掃除機も空気清浄機付きのものまで登場してますし、洗濯機の「○○モード」を全部使ったことがある人は、ごく少数だと思います。HDDレコーダーや薄型テレビも、備わっている機能を一通り全部使いこなしている人というのは、なかなかいないと思います。ひとたび、買って使い始めてしまうと、「え?そんな機能あったん?」というのを知る機会もあまりありません。

このような、せっかく買った家電や情報機器の使いこなし時間の確保については、背後にある課題を浮き彫りにする気がします。「買ったのに使いこなせない」というのは、裏を返せば「使いこなせないような物を買ってしまう」購買行動も問題です。ですが「単純な機能の物でイイのに、(携帯電話のように)単純な商品が少ない」という背景もあります。無駄な機能になるとわかっていながら、その無駄付きを買わざるを得ないというのは、作る方にも買う方にも無駄なような気がします。

購入するために働いてお金を稼ぐのがワークとするなら、使いこなすのはライフ。両方ないと不完全です。買うだけでは、なんのために買ったのか?になるし、ライフだけではそもそも買えないですし。

そういう意味での、ワーク・ライフ・バランスを必要とする物として、僕は「整理本」「片付け本」の「積ん読」を挙げたいと思います。買っただけで片付いた気になる気持ちはものすごく理解できますが、「積ん読」ではかえってガラクタ化してしまってる(片付いた状態からどんどん離れていく)のが現実です。「片付け本」こそ、買う→読む→実行という時間がないと無意味です。そしてまた、仕入れた情報をもとに行動する力を要するという点において、きわめて自己啓発的要素の高い物品であると思います。
23:09  |  男の家事  |  Comment(0)

手段と目的

2011.01.18 (Tue)

「家事は楽しい生活のための手段」

講演ではこう伝えてます。
とくに「男の料理」が陥りがちなのが、この手段と目的の転倒です。

本来、食事とは、食物から栄養分を摂取することに目的があるはずです。それに加えて、美味しいであるとか、キレイであるとか、安全であるとか、楽しがが付属的に加わります。

ところが、いわゆる「マニア」は、この手段を目的化した行動特性で、この特性はこれまで男性に多く見られる傾向であるような気がします。

例えば、「鉄ちゃん」。本来、目的地に移動するための手段に過ぎないはずの鉄道ですが、それを撮ったり、乗ったり、比べたりして愛でることを目的にした嗜好です。目的地まで到達するための参考書である「時刻表」ですら、その愛でる対象として目的化されています。「駅弁」も同様です。

プラモデルなどは、まさに手段が目的化した商品といえるでしょう。プラモデルに似たモノとして、「手芸」という、これまで女性が多く好むとされる、プロセス重視嗜好がありますが、これもよくよく見ていると、「ボケ防止の目的でやってる」「リフレッシュのために」という人や「カレシにプレゼントするため」「自分が着るため」「飾るため」という感じで、どこか合目的的であるようにも見受けられます。このように、趣味領域に関しては、鉄道マニアやプラモデルと比べるように、はるかに女性の方がビジネス適合的だと思います。一方で、会話は、女性の方が会話自体を楽しむプロセス重視で、男性の方が結論重視だと言われていますが、これはまた別の機会に。

最近は「鉄子さん」や「手芸男子」も登場するようになり、だいぶん男女のボーダーレス化が進んでいると思います。男女の区別に囚われず、興味のあるコトに素直に向かえるというのは、とってもいいことだと思います。

話を戻して、「男の料理」にみる「手段の目的化」についてです。典型的なのが、「包丁研ぎ」です。包丁は、あくまでも材料を料理に合わせて切るための手段的道具です(道具というのは、たいてい手段ですが…)。ところが、「男の家事教室」には「包丁研ぎ」という科目が、しっかりと確立している場合があります。女性向けの料理教室で、包丁研ぎという科目をあまり見かけないことを考えると、とっても特徴的で、ある意味微笑ましいことのように感じます。

善し悪し議論ではないのです。包丁研ぎは包丁研ぎでエエのです。ただ、包丁研ぎに時間と労力を使いすぎて、肝心の料理に時間がなくなり…では、本末転倒と言わざるをえません。確かに、良く切れる包丁は、美味しい料理には欠かせません。切れない包丁よりも安全です。ただ、良く切れる包丁は、必ずしも砥石でシュコシュコ研ぐ必要もないのです。シャープナーでシャシャッと往復させれば、数秒で十分に切れる包丁が手に入ります。

僕が言いたいのは、「手段の目的化」が悪いということではありません。なんにでも楽しみを見付けられる人というのは、この「手段の目的化」がとっても上手な人です。散らかった部屋の片付けさえ、「どう収納しようか?」「この落書き…上手になったなぁ」などの楽しみに変換できてしまえる人だと思います。

大切なのはバランスです。手段もボチボチ楽しめ、そして目的もボチボチ達成できる。手段に力を入れすぎて、料理はお粗末、キッチンは散らかしっ放しでは、続けることが難しくなります。かといって、「腹さえ膨れれば何でもエエねん」というのも、寂しいというか、貧困なような気がします。

なんにでも言えるコトですが、やり出すときりがありません。求めると果てしないです。それぞれにどこで折り合いを付けるか?このバランス感覚が、家事には特に大切なんだと思います。
10:46  |  男の家事  |  Comment(0)

第3次男女共同参画基本計画をうけて

2010.12.18 (Sat)

昨日、第3次男女共同参画基本計画が閣議決定されました。
http://www.gender.go.jp/kihon-keikaku/3rd/3-26.pdf
夫婦別姓や個人単位の社会保障など、政策直結の計画も盛り込まれていますが、僕が注目したのは、なんといっても第3分野のこれ!

6歳未満の子どもがいる夫の
1日あたりの育児と家事の時間を、
06年の60分から20年には2時間半とする


です。

驚いたのは、2006年でも60分あったのか?という点です。ホンマかな?と思います。そのホンマかな?の60分を、10年後に2.5倍にするという目標です。

もちろん、労働時間の見直しや多様な働き方の保障、ワーク・ライフ・バランスなどが必要ですが、僕の仕事に関係するのは、「1 男性にとっての男女共同参画」のなかの「具体的施策 ア 男性にとっての男女共同参画の意義についての理解の促進 ①男性にとっての男女共同参画に関する広報・啓発等」だと思います。

主夫であり、講演講師でもある僕ができるコトは、なんといっても、「家事や育児ってオモロい!」を伝えることです。実際にやってる僕が、「シンドイ」「オモロナイ」「できればやりたくない」というのでは、全然前に進みません。かといって、「なによりもオモシロい!」「家事のためなら死んでもイイ」というような盲信でもアカンと思います。

肩ひじ張らず、
等身大で
いろいろあってもヒョウヒョウと
そして、なんか楽しそうだし幸せそう

…というのを出せるキャラとして、
自分がなにか貢献できればなぁと思います。

特別な能力が必要なわけでなく、
普通の人が普通に手に入れることのできる
家事や育児を通した楽しみや幸せ。

それを伝えることが僕にできることだと思います。
11:50  |  男の家事  |  Comment(0)
 | HOME |  NEXT